使命はトラウマの裏にある

「人にはこの世で果たす役割・使命がある」みたいな話は占いの客になるとよく言われる。
しかしその使命は、好きなことや楽しいことからは見付からない。
恐怖やトラウマの裏側に潜んでいるという。
私にとってプログラミングは、リストラされて以降「自分にはできないこと」という扱いになっていた。Javaはリストラ前から存在した言語だが、無料で入手できるにも関わらず勉強する気になれなかった。派遣で転々としている期間中にHTMLやCSSのバージョンも上がった。それも「こんなものやっても仕事にはならない」と思い、何冊テキストを買っても学ぶ手は止まった。
占いの先生に「副業でスマホアプリを」と言われただけで、自分に「許可が出た」と思えたのだろう。そこからの展開は早かった。半年間にアプリを2本リリース、内1本は広告を載せて収益も出ている。アプリだけで食っていけるようになったら「占いで人生は変わります」と豪語しよう。

トラウマや恐怖と言えば、私が「どうせ下手だから」と封印状態にしているのが「文章」と「絵」だ。
文章ならブログで書いてるじゃん、と思うかも知れない。しかし、数年書いていて何の進歩もない。当ブログが1000PV突破するのに5年かかっている。「自分の言いたいことを書いても人は読まない」のがよくわかる。「お役立ち記事」が連発できるようなら今頃私はプロブロガーだ。それはさておき。
書店で、読まないくせに小説の棚を見て回る。読まないくせに「これだけの量の文章で物語を作るなんて私には無理だ」と、わざわざ思う。何かがおかしい。ひょっとしたらプログラミングと一緒で「書いたって売れないじゃん?」という信念がべったり貼り付いているのか。
話を「絵」に移そう。絵は保育園時代から笑いものにされていたレベルである。まあろくなことは言われなかった。葉の生い茂った木を描いたら「山?」と言われたくらいだ。全然伝わってない。なのに書店で「Photoshopで背景作画」みたいな本を見てしまう。絵の具で描こうがパソコンで描こうが、脳に画力がなければ一緒だ。ルーン占いの画像は直線主体だからサクサク描けただけである。

ここまで書きながら「結局、承認欲求か」と思うに至る。褒められたら調子に乗るし、否定されたら死の苦しみ。
文章や絵が「使命」とまで言えるかは、何とも言えない。

今日はクリスタルボウルの音を聞いて落ち着こう。

コメント