継続に力はいらない 2

昨日に引き続き、
何かを継続するにはどうしたらいいのか
考えていた。

今日はこんなのが降ってきた。
「意味を考えない」

昨日に引き続き、身も蓋もない。
行動を継続するというのには
何かしら目的や意味があるはずだか、
その「意味」を捨てる。

運動をすれば「筋肉が発達する」とか
「脂肪が燃焼する」とかあるわけだが、
そんなことは忘れる。
「6時半になったらラジオ体操をする決まりである」(例)
もはや「儀式」。
儀式に「現実的な意味や効果」はない。

私にとっては現在、
このブログ執筆も「儀式」と化している。
意味は考えない。
「皆様のお役に立つ」だとか
「自分の思考を整理する」だとか
そんなことを考えたらダメなのだ。

目的を持つと
「目的は達した」か
「目的に達しなかった」か
どちらかが「やめる理由」になる。
「大学に受かったら勉強しなくなる」みたいな話。

私の執筆は
「それなりの行数書いたらインターネットに『奉納』する」
という「儀式」。
うん、いいこと言った。(爆)

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