田んぼへの水を切る日が来た。
用水路から水を取る管を外す。田んぼ側で水が出てこないのを確認する。あとは放置。稲刈りの日を待つだけである。
稲刈りは人に頼んであるので、私は手を出さずに済むはず。
終わりなんだな…と思う。
これでいいのだ。私は、米の世話も野菜の世話もできない。正確には、「百姓はやりたくない」。
父が存命でまだ勤めに出ていた時代、父は5時に起きて5カ所の田んぼの水を調整して回っていた。私は軽トラが発進する音を寝たまま聞きながら「ああはなりたくない」と思い続けていたのだ。たとえ暇でも嫌なものは嫌である。農業は作物の奴隷だ。
もうすぐ、農機具も農協に引き取ってもらう。耕作しないのにトラクターは必要ない。うちはもう「農家」ではなくなる。
今日は「大浄化」の音源を聞こう。
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