それは40年越しの夢だった

私の住むあたりの農家は、先週から今週にかけて田植えのシーズンを迎える。
気温も暑すぎず風も爽やかな、まさに「行楽シーズン」が、農作業とぶつかる。このことが子供の頃からずっと私は不満だった。
これは秋も一緒だ。世間では「秋の行楽シーズン」なのに、したくもない野良仕事をする。田んぼで休憩時にお茶を飲みながら、村のメインストリートを行き交うたくさんの車やバイクを見て、何とうらやましかったことか。「自分もあっち側になりたい」、そう思いながらも野良仕事を手伝うしかなかった。

昨年で米作りを完全に終了した。田んぼを人に貸すと「私の田んぼで水利権を行使している」ことになって用水路の管理に参加しなければならないので、貸すこともしない(同じ状況の知人が近所にいる)。もう用水路管理の役員はこりごりだ。

車で買い物に出かけ、あちこちで田植えをしているのを見て「ああ、もう自分は解放されたんだ」ととても清々しい気持ちになる。正直、「自分で米作りするためのコスト」、苗や農薬や機械の燃料の費用を年間でトータルすると、「スーパーで米を買うより高い」のである。

しかし、時の流れは残酷だ。「行楽のない人生」を送り続けていたため、行楽シーズンに何をしていいかわからないのだ。解放はされたけど、結局「普通の週末」が年間で何回か増えるだけということになる。新コロ禍がないとしても、「特別な場所」に行く気持ちがない。
「CATVが来たらキー局の番組見まくるんだ…」とワクワクしていたのに、いざ開通する頃にはテレビ自体を見る習慣がなくなっていたのに似ている。

今日は「天使ウリエルの力でお金を引き寄せる」音源を聞こう。

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