「貧乏」に封印された夢

子供の頃はいろいろと我が儘を言ったような気がする。
そして大体「貧乏だからダメ」で片付けられた。

小学生の頃に読んだ野口英世の伝記に影響されて「医者になりたい」などと言ったことがあるが、親が「金がないから医学部にはやれない」と言ったのであっさり諦めた。まあ、今思えば受験しても落ちたかも知れない。
後に、電子工作の雑誌に出ていた「電子工学院」(今の日本工学院だ)の広告を見て「ここ行きたい!」と言ったが「県外の学校なんてとんでもない」みたいなことを言われた。
結局私は「家から通える地元の国立大学」へと進むことになる。同時期に父が家を新築し、近所の人は「息子に金がかからなくてよかったな、この家は息子が建てたようなもんだ」と言ったそうな。確かに東京の私立なんか行ったら4年間で建築費くらいの金は飛んだだろう。

貧乏に封印されたものをもう1つ思い出した。「ピアノ」である。
これも小学生の頃、近所の同級生が弾いていたのに影響されたらしく、親に「ピアノを習いたい」とか言ったようだ。やはり「そんな金はない」と却下されたのだが。
諦めきれなかったのであろう、後に私は「キーボード通信講座」の資料を取り寄せて妄想の中で楽しんでいた(キーボードも買えないので受講はできない)。
YMOが流行り始めて、私の興味は表面的にテクノとシンセサイザーに移行していた。

時は流れて年齢は50を過ぎ、一応給料の入る生活をして、あまり心身がくたびれなくなって、ふと思う。
「…ピアノは今からでも練習できるかも知れない」
シンセではない。私は多機能な楽器では混乱する。
電子ピアノなら5万円程度で買える。最近はピアノ練習のスマホアプリもあるそうだ。つまり、教室に通わず家で自習できる。
発表の場はなくてもいい。自分が聞きたいだけだから。感覚としては音ゲーに近い。
可能性はあるけれど、本当にやるかどうかは神のみぞ知る。

今日は太陽神経叢チャクラに効くらしい音源にしよう。

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