自分のニーズとは何だろう

先日、霊感占いの先生に「まず自分のニーズを満たしましょう」と言われた。
自分がしたら楽しいこととか。食べたいものとか。行きたい所とか。
私はいろいろと自分に制限をかけすぎている。ちゃんと見抜かれている。

しかし、いざ制限を外そうとなると、「じゃあ何がしたいんだっけ?」で悩むことになる。制限にフォーカスしすぎてニーズが認知できない。制限は強すぎて、ニーズに対しても
「そんなことしても無駄」「無意味」「もったいない」
みたいな攻撃をしてくる。他人ではなく自分が自分に対してストップをかける。

「無駄」「無意味」がいけないなら無職の私も無駄に生きてるようなものなので生存をやめよう、みたいに考えそうになる。しかし後始末が大変(自分がするわけじゃないけど)なので思いとどまる。

無駄に生きてる間に無駄なことしよう、とでも考えればいいのか。「何かに役立てなければ」というのを脇に置く。「仕事のための勉強」はしないで、仕事に結びつかない勉強をする。県内IT企業が求めていない言語でのプログラミングとか。例えばC++やC#やJavaは求められているがPythonで組めという企業は見当たらない。VBAも求められない。更に、近場にIT企業がほぼないので「就職のためにプログラミングを学ぶ」こと自体が実は無駄だ。某「エンジニア向け転職サイト」でも東京の会社ばかり勧めてくる。…「フルリモートワーク」みたいのは即戦力でないとできないと思うから考えない。

儲からない、役に立たない、「無駄な○○」をしよう。絶対儲からないので収入は発生せず、失業中でも仕事とみなされない。趣味である。ある意味、当ブログも無駄の塊。

今日は「無意識の閉塞と恐怖を破壊する」音源を聞こう。

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